星の剣舞姫 第5話「グラン・ギニョルは炎のようで」1

 その屋敷は、むせ返るような血の臭いに満ちていた。
 町中に建つ、綺麗に刈り込まれた芝生と植木の庭を備えた瀟洒な屋敷。月の光と庭の街灯に照らされたその下で、主夫婦はクラシックのレコードかラジオ、テレビを傍らに食後のワインを楽しみ、子供は既に夢の中──そんなありふれた、だが幸福な時間が営まれているはずの屋内は、数人の黒ずくめの一団によって見るも無惨な惨状と化していた。
 仲間がキャビネットなどを開けて金品を漁っている側で、黒ずくめの1人が最後に生き残っていた若いメイドの胸に、右手の指先から伸びた鉤爪を深々と突き刺し、引き抜くと、刺された箇所から血が噴水のように吹き出す。黒ずくめの左手で持ち上げられながらも、それまで懸命に抵抗していたメイドは、途端に手足をダラリとさせて絶命する。
 黒ずくめは部屋の隅を振り返り、既に血まみれの死体となって折り重なっている主一家とその他の使用人の上にメイドの死体を捨てようとするが、突然ピタリと足を止め、まるで上官の命令を受領する兵士のように静止していたが、ややあって再び動き出すと、鉤爪をメイドの額に突き立て、顎に向かって一気に引き下ろす。その後も一方のこめかみから反対側へ、片頬から反対側へという具合に、何度も執拗に切り刻み、メイドの顔が原形を留めなくなった所で、ようやく黒ずくめはメイドの死体を死体置き場に捨てる。
 死体を捨てた後、鉤爪をしまった黒ずくめの視線は壁に掛かっている絵に向けられる。
 華美ではないが精緻な細工の施された額に飾られた、美しい婦人の半身画で、素人目にも美術的価値が高そうだと理解できるが、それ以上に絵に描かれた婦人の微笑みは、見る者を安心させるような優しさに溢れていた。
 黒ずくめは絵に近づくと、壁から外そうと額に手を掛けるが、またも突然手を止めて、時間が止まったかのように全身が止まるが、再び動き出すと額から手を離し、鉤爪を伸ばして振り上げ、一気に絵に向かって振り下ろす。婦人像は顔を中心に切り裂かれるが、それだけでは止まらず、まるで深い恨みでもあるかのように、黒ずくめは更に絵を切り刻んでいった──

「至急会って、話がしたいの」
 そう電話で呼び出され、翌日アニェスがロベール、そして私を伴って向かったのは、パリ一八区の片隅にある一件の菓子屋だった。
「全く、こちらだって忙しいのに呼びつけるなんて、勘弁してほしいわね」
 不平を漏らすアニェスに、ロベールは恐る恐る言う。
「しかしながらアニェス様、流石にあの方からとなると無視はできませんし」
「分かってるわよ。だからこうして来たんじゃないのよ」
 いちいち言うんじゃないわよ、と言うようにアニェスはロベールのすねを蹴り飛ばす。
「ところで、何故私も一緒なんだい?」
 私がそう尋ねると、アニェスは相変わらずの不機嫌顔で、
「知らないわよ。ローランも一緒に、という向こうからのリクエストでね」
 こちらが知りたいと言うように答え、アニェスは店の入口のドアを開ける。
「いらっしゃい」
 カウンターから、ふくよかな丸顔が特徴的な老女がアニェスに声を掛ける。
「わざわざ呼びつけてきて何の用なのマティルダ? くだらない用事だったら承知しないわよ」
 パリの裏社会で『“徴(しるし)の”マティルダ』という二つ名で畏敬される魔道師を相手にしても、アニェスは普段通りの不遜な態度で言うが、マティルダは怒りもせず、
「まあまあ、まずはお茶でも飲んでいって」
 笑顔で店の奥のカフェスペースを勧め、私達が椅子に着くと、間もなく人数分のケーキとティーセットを持って来る。相変わらずけれんのない美味しさのケーキが半分ほど減った所で、
「そろそろ良いかしら?」
 そうマティルダは言うと、布で包まれた三〇センチくらいの物体をテーブルの上に置き、布を開けていく。
「これは──」
 それは手──ただし生身の人間の手ではなく、木で作られた人形の右手だった。良く見ると指先から金属製の鉤爪が伸びる仕掛けになっていて、それを見た私の脳裏に一ヶ月と少し前の記憶がフラッシュバックする。
「心当たりがあるみたいね」
 私の反応に、マティルダが眉をひそめる。
「どうしたの、これは?」
 アニェスもテーブルに身を乗り出して尋ねると、マティルダは「まあ落ち着いて」と抑えて、
「最近パリやその近郊で起こってる連続強盗殺人事件はご存じかしら?」
「ああ、新聞で話題になってますね。お金持ちの家や商店を襲って金品を持ち去った上に中にいた人は皆殺しという……」
 答えながら胸の前で十字を切る私に、マティルダはテーブルの上の手を指さして、
「それは一週間前に起こった事件の現場にあった物よ。このときも例に漏れず、金品を持ち去られた上に、一家皆殺しにされて、それは酷いものだったそうよ」
 マティルダの話に、アニェスは「続けて」と促す。
「けど、家の主人も精一杯抵抗したみたいで、散弾銃で吹き飛ばして、残ったのがこの手らしいんだけど、『何で人形の手が?』と警察が頭を抱えた末に、ここに持ち込んできたと言う訳よ」
 聞く所によると、警察にもごく一部だが“この世界”について知っている人間がいるそうで、そのルートでマティルダに鑑定の依頼が来たそうだ。
「さあ、次はそちらの番よ」
 そうマティルダに話を振られ、私はアニェスの方を見る。深刻そうに眉根を寄せて数秒間沈黙していたアニェスだったが、苦々しげに口を開く。
「分かった。全て話すわ──」
 そしてアニェスは、これまで唯一自分を敵に回して生き延びた相手であるエミリー・ベレッタ──死者の魂を人形に縛り付けて操る女と、教会の下に埋まっていた隕石を巡る因縁について説明する。
「成る程ね……」
 一通りアニェスが話し終わると、マティルダは一言呟いて一呼吸置き、続けて言った。
「どうやら、最近連続して起きている連続強盗事件の犯人は、あなたが倒し損ねたそのエミリーという人が関係していると考えていいみたいね」
 テーブルの上で指を組み、マティルダは沈痛そうに溜め息を吐く。
「あなた達、“ネクロス”って知ってるかしら?」
 マティルダの問いに、私は「いいえ」と首を振り、アニェスと彼女の背後に控えるロベールは「名前くらいは」と答える。
「そう、なら初めから話した方がいいわね」
 マティルダは一旦席を立って店の入口に休業の札を掛けると、紅茶のお替わりを入れてから話を切り出した。
「ネクロスと言うのは通称でね、本名はネビル・クロスフィールド、私達の世界の歴史上で最悪の暗黒魔道師と言われてるわ」
「最悪、ですか」
 私の相槌に、マティルダは「ええ」と返す。
「彼が生きていたのは一四世紀──いわゆる中世の時代で、幼い頃から語学、医学を始め、あらゆる学問を瞬く間に吸収し、長じてからは魔術の道に足を踏み入れ、その分野でも天才と評されたそうだけど、いつしか悪魔に魂を売ったかのように人間の道を外れた魔術の研究に没頭していったそうよ。人間を小さくして無力化する術、人間の知能を破壊して家畜のようにする術、土地の養分を奪って不毛の地にする術、その他色々とね……」
「まさに邪法ね」
 忌々しげにアニェスは言う。
「一体、何のためにそんな恐ろしい事を?」
 私の質問に、
「それははっきりしていないけど、ネクロスが明らかに人間と社会を憎んでいた事は間違いないわ。一説では、フランスとイギリスの間に起こった百年戦争や、ペストの大流行も、ネクロスが関与していたと言われているし」
 表の社会では語られる事の無い歴史の裏側に、私の背筋を冷たい物が伝う。
「けど、そんな恐ろしい男を、周囲は放っていたのですか?」
「もちろん彼の研究に気づいて阻止しようとした人はいたけど、散発的な討伐は返り討ちにされるか、人体実験の材料を増やすだけだったみたい。そこでとうとう教会と、後に私達魔道士の組合である<塔>の前身となる組織──本来相容れる事の無い二つが手を組んで、ネクロスの討伐に動いた。激しい戦いが繰り広げられ、甚大な犠牲を出しながらも、討伐隊の最後の一人がネクロスに致命傷を与える事ができたそうよ」
「おぉ──」
 思わず声を上げた私だが、マティルダは厳しい視線で私を見る。
「けれど、ネクロスは死の寸前、最後に残った力で自分の研究記録に魔術を掛け、外へ放った。それこそが真の災厄の始まりだったのよ」
「何です、その魔術というのは?」
「研究記録は術ごとに断片に分かれて、ある特定の条件に当てはまる人間に渡るようになってるの。そしてその断片を持った人間は、書かれている内容が読める読めないに関わらずその術が使えるようになるのよ」
「例の邪法とやらを?」
「そう。そしてその条件というのは、術を使えるだけの魔力を才能的に持っていて、かつ社会と人間に対する深い憎しみを持っている事。そんな人間がネクロスの邪法を手に入れたら何をするか、想像は付くでしょう?」
「少なくとも、人助けのために使う事は無いわね」
 控えめな表現でアニェスが答えると、更に表情を重くしてマティルダは続ける。
「しかも厄介な事に、断片の持ち主──私達の間では『小ネクロス』と呼ばれているのが死ぬと、断片はいつの間にか姿を消して、しばらくすると次の持ち主の手に渡っているのよ。加えて小ネクロスが断片の術を研究して改良、発展させるとその記録も断片に入って、次の持ち主は最初からその改良された術を使えるようになっているから──」
「どこまで都合の良い術なのよ、もう!」
 マティルダの言葉を引き継ぐように、アニェスは吐き捨てる。
「で、そのネクロスと今回の事が、何の関係があると言うのよ?」
 ここまで話が進めば流石に私でもこの後の流れは予想が付くし、アニェスもその辺りは察しているはずだったが、当たって欲しくなさそうにアニェスは尋ねる。
「自分以外の人間を全く信用しなかったネクロスは、研究や生活の雑用とか、自分の身を守る護衛をさせるために、自分の思い通りに動く下僕を作る研究にも手を着けて、合成獣(キメラ)や人工生命(ホムンクルス)など、ある程度の成果は得られたみたい。けど、命令を完璧に理解して遂行するレベルの知性を作る事はどうしてもできなくて、最後に考えついたのが、既に存在する知性を利用する事──」
「つまり、ベレッタが使った人形も──」
 私の言葉にマティルダは頷く。
「ええ。ネクロスの邪法の一つよ。命令には絶対服従、疲れを知らず、傷付いても怯まず、壊されてもまた他の死者の魂を使えば良いから補充も容易。教会と魔道士達がネクロスと戦った時も、その人形達に苦戦を強いられたそうよ」
 マティルダは溜め息を一つ吐いて、
「あなた達、厄介なのに目を付けられたものね。私が知っている小ネクロスはどれも相当に執念深くて、一度受けた恨みは絶対に忘れないのばかりだったわ」
 マティルダはそう言って、苦渋そうに眉間に皺を寄せる。彼女自身も魔術の道に入った事で、短からぬ人生の中で幾度も小ネクロス達と関わってきたのだろう。
「あと、最後にもう一つ」
 右手の人差し指を立ててマティルダは言った。
「これは一般には公開されていない情報だけど、事件の現場では美術品や若い女の人の顔がズタズタに切り刻まれていたそうよ。何かの手がかりになると良いんだけど」

「厄介な事になったな」
 マティルダの店を出てから、最初に私がそう言うと、ずっと押し黙って私の前を歩いていたいたアニェスは、
「それはベレッタが私達を狙っているだろうって事? それともネクロスの断片の事?」
「両方だよ」
「あの女が復讐してくるだろうって事は、あの時取り逃がした時点で予想は付いていたわ」
 今更何言ってるの、と言うと、アニェスは続けて、
「ネクロスの断片にしたって、確かにネクロスの邪法はタチが悪いけど、こっちがそれ以上の力を付ければ問題は無いわよ」
「力には力か。その論理のせいで世界は核競争の只中だというのにな」
「話をすり替えないで。個人の自衛は当然の権利よ。そのために剣を作る準備も整ったんだし」
 そう言って、アニェスはニヤリと笑ってみせる。
「それにしても、美術品や女の人の顔が切り刻まれたというのはどういう事なのでしょうか?」
 一番後ろでマティルダから貰ったケーキの箱を持つロベールがそう話しかける。
「美術品は足が付きやすいので持って行かないのは分かりますが、何でわざわざ切り刻むのでしょうか? まして女の人を殺して更に顔を切り刻むというのは?」
「知らないわよ。ただ、お金を集めているのは多分人形を作る資金ね、それも大量に。ならこちらも迎え撃つ準備をするだけよ」
 来るなら来いとばかりにアニェスは言った。

 だが、その時私は知らなかった。
 ベレッタの抱く憎しみの炎が、私達が思っていた以上に大きく、激しいものだった事に。
 そしてあの時私がもっと小ネクロスというものについて深く考えていれば、一人の世界の敵が現れずに済んだのではないかと、私は未だに深く悔いているのだ。

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