星の剣舞姫 第3話「ジュエリーは妖麗で」4

「いらっしゃいませ、神父様」
 パリから帰って翌日の午後、アニェスの家を訪れた私を、いつものようにロベールが迎え入れる。
「失礼ですが、その鞄は?」
 今回私が右手に提げて持参した鞄に目を止め、ロベールが尋ねる。
「ええ、ちょっとした準備をね……」
 言葉を濁しつつ、応接間に通されると、アニェスがソファーに座って待っており、
「何、その鞄は?」
 予想していた通り、鞄に目を止めて訝しげに尋ねる。
「いや、悪霊祓いというから、こちらもそれ相応の準備をしておこうと思って……」
 通常、悪霊・悪魔祓いを行うには、祓いを求める人間に悪魔や悪霊の類が本当に憑いていることを立証した上で、教会の長上──私の場合は教区の司教の許可を貰い、定められた規則と典礼に則って慎重に進めなくてはならないのだが、アニェスにそれを言った所で素直に納得してくれるとは思えなかったし、今回は祓うのが人間ではなく宝石で、名目上は聖別ということにすれば司教の許可は必要ない。とは言え非常に危険が伴うことには違いないからできる限りの準備をしてきたのだった。
「祭服、頸垂帯(ストラ)、十字架、聖香油、聖水、散水器、祈祷書──悪魔祓い(エクソシズム)に必要な道具は一通り持ってきた」
 鞄を開けて中身を見せると、アニェスは「ふ~ん」と気の抜けた声で見ていたが、
「けど、これらを使って本当に悪霊や悪魔を退治したことはないんでしょう?」
「まあ、無理に追い払わなければならないほど質の悪い霊には遭わなかったし、悪魔の方は実際に見たことは一度もなかったから……」
 アニェスの問いに私が答えると、アニェスは「やっぱりね」と呆れたように言う。それからアニェスは私に向かって背を向け、ソファーの後ろに手を伸ばすと、一振りの鞘に収まったサーベルを掴んでくる。
「はい」
 そのまま無造作に私に向かって差し出してくるので受け取ると、鞘と柄の造りに私は思わず目を奪われる。黒塗りの鞘は所々金属で補強されているが、金属部分には十字架など精緻な細工が施され、柄に巻かれた白い革、金属製の護拳にも施された細工などによって、儀礼用にも見える流麗さを備えていた。
「柄と鞘のベースは樹齢千年を超える樫の枝から削り出して、柄には多くの漁師やハンターを退けた巨大鮫の革と、高山で想像を絶する風雪と寒さに耐える蛾の繭から取った糸を滑り止めに巻いてあるわ。護拳は錬金術、冶金学の粋を尽くした合金製。そして剣身は、例の隕石の一部を打って作った物よ」
 柄を握り刃を抜く。わずか数センチ引き出すだけで、これまで何本も使い潰してきたどのサーベルよりも圧倒的な存在感を感じたのは、短い期間ながら剣を振るってきた経験によるものか、単純に刃の材料となった、宇宙の彼方より飛来した星の欠片が持つ力なのか、その場では判断しかねた。
「あなたは霊が見えるだけで、術を使える才能はないみたいだから、下手に強い力を持った武器を持たせたら、使いこなせないどころか、かえってあなた自身を傷付ける危険があるわ。だからその剣には霊を傷付ける以外の能力は付けてないわ。もっとも、切れ味や耐久性も、これまであなたが使ってきたのと比べたら段違いだけど」
 アニェスの説明を聞くまでもなく、このサーベルが名剣であることは、一目見れば大抵の人が理解できるだろう。それだけに、この剣を振るう際には今まで他の剣を持った時以上に理性と克己心、そして覚悟を必要とするだろうと悟った。
「霊を傷付ける能力を付けた、と言うけど──」
「ええ、普通の武器で霊を倒すことは出来ないけど、その剣には霊に傷を付ける力を込めてあるわ。もちろん使う技量が伴わなければ宝の持ち腐れだから、これからもしっかり修行しなさい」
「そうじゃなくて──」
 私はアニェスの言葉を遮って、
「私が教えて欲しいのは、この世に留まっている霊に天国への道を示して昇天させる方法だ。これでは力尽くで脅すか倒すかしかできないじゃないか!」
 前々からアニェスに言おうと心中に鬱積していたものは沢山あったが、いざ口に出してみると結局これに尽きた。実際、彼女が修行と称して私を連れ回してやっていたことは、人間か動物を相手に大立ち回りが大半で、体力と剣の技量は身についたが、私が期待していたことは何一つ教えてくれなかった。
「ええ、その通りよ。私達の世界はまず相手を倒せる実力がなければ始まらないのよ」
 だがアニェスはそれを詫びるどころか私の言葉を否定もせず、それどころかこのように過激な答えを返して来た。
「この世に留まっている霊というのは、大概生きている人間以上に執着心が強くて──て言うか、執着心の強い霊ほどこの世に留まりやすいものなのよ。だから話し合いで昇天して貰おうとしても簡単に納得しては貰えないし、下手すると襲ってくることさえあるわ。従って霊から身を守るための実力、武装は必須なの」
 アニェスは続けてそう説明してくるが、
「だから、身を守るためにこれらがあるんだ」
 私は完全には納得できず、持参した悪魔祓いの道具を示す。聖職者として、武器で相手を威嚇しながら話すことなどあってはならないと、年月を経た今でも思うが、あの時はアニェスを相手にいささかムキになっていたことは否定できないと懺悔しよう。それだけに、この直後のアニェスの言葉はあまりに意外で拍子抜けになったものだ。
「なら、あなたのやりたいようにやってみれば良いわ」

 その後、私達は二階へ上がり、真ん中に簡素な机とテーブルが置かれただけの部屋に通される。
「ここなら何が起こっても被害は最小限で抑えられるし、好きなようにやってみなさい」
 机の上に例の呪われたダイヤモンドが入っているというジュエリーケースを置いてアニェスは言うと、ロベールと一緒に部屋の隅へ移動する。
 私はいつもの僧服(カソック)の上に祭服を着て、頸垂帯を首に掛けた儀礼用の服装で頷くと、聖水を撒いて部屋を清める。
「主あわれみ給え。
 キリストあわれみ給え。
 主あわれみ給え。
 キリストわれらの祈りを聴き給え。
 キリストわれらの祈りを聴き容れ給え。
 天主なる御父、われらをあわれみ給え。
 天主にして世のあがない主なる御子、われらをあわれみ給え。
 唯一の天主なる聖三位、われらをあわれみ給え……」
 祈祷書を開き、連祷を唱える。
「神よ、願わくは汝の名によりて我を救い、汝の力もて我を裁き給え。
 神よ、我が祈りを聞き給え、我が口の言葉に耳を傾け給え……」
 次いでダビデの詩とされる旧聖約書の詩編五四編を読み、神の加護を祈り、神への感謝を捧げる、更に神の恩寵を嘆願する誓言をする。この後通常の悪魔祓いの手順通り、憑いている悪魔に退散勧告を行い、新約聖書ヨハネによる福音書一章四節を読み上げるが、ここまでは何の反応もなく、アニェスも黙って見ている。
 だが、ジュエリーケースから漏れ出す悪しき気配も止む気配が見えなかったので、私は右手で十字を切ると、頸垂帯の一方の端をケースに巻き付けようとする。
 途端、頸垂帯が見えない力で弾かれ、私も押されて床に尻餅をつく。そして見上げる私の目の前で、ケースは中で何かが動いているようにカタカタと動き出し、次第に激しくなっていくと、ケースに縦横に巻き付けられていた紙テープが、まるで伸びきったゴムが切れるようにバチンと激しい音を立てて、二本とも同時に切れる。次の瞬間、ケースの蓋が勢い良く開き、中に入っていたダイヤモンドの指輪が露わになると、そこから膨大な、どす黒い霧のようなものが噴き出してくる。人間の負の感情に色を付けたらこうなるのではと思えるそれを、私の豊富とは言えない語彙の中から呼称するとしたら、瘴気(しょうき)という名前が最もふさわしかった。
 瘴気は凝集すると人型を形作り、豪奢なドレスに身を包んだ、いかにも身分の高そうな婦人の姿になる。だがそのドレスは傷や出血だらけ、表情は怒りや憎しみの形相に歪んでおり、
『痛い……苦しい……ああ、何故妾(わらわ)がこのような目に遭わねばならぬ……』
 血の滴る唇から、絞り出すように恨みの言葉を吐いてくるそれはまさしく霊──それも悪霊と呼ばれるものに違いないと、立ち上がることも忘れて私が確信していると、悪霊も私に気付いて、
『貴様にも、妾と同じ苦しみを味わわせてくれよう!』
 叫びながら手を伸ばしてくる悪霊に対し、私はロザリオを掲げ、
「我、汝を祓う! 汝、最も下劣なる霊よ、我らが敵の具現化よ、全き亡霊よ、我その軍勢の全てを祓う、イエス・キリストの御名によりて──グハッ!」
 エクソシズムの言葉を唱える途中で私は見えない力に殴り飛ばされ、ドアに背中から叩き付けられる。
「ゴホッ……何故祈りが通じないんだ……」
 床にずり落ち、咳き込む私に、アニェスは『ああ、やっぱり』という表情で私を見て、
「だからマティルダが言ってたでしょう、下手に手を出したら祟られるって。聖水や祈り程度じゃ無駄に向こうを刺激するだけよ。それにしても封印を破っちゃうなんてね」
 感心と呆れの混ざった口調で言ってくるアニェス。状況を分かっているのか疑いたくなる程、他人事のような態度の彼女に、
「何を言ってるんだ、悪霊や悪魔が相手なら、尚更祈りで立ち向かうべきじゃないか!」
 聖職者として祈りを否定されるわけにはいかなかったので、私は言い返す。だが、
「祈って必ず奇跡が起こるなら、それはもう奇跡なんて呼ばないわよ」
 アニェスは冷たく即答し、
「仮に奇跡というものがあったとしても、最初から神様に奇跡をお願いする奴なんて、私が神様でも助けないわね。自分にできる限りのことをやり尽くして、それでも駄目で祈る人の元に舞い降りるからこそ、奇跡は有難味があるのよ」
 そう言いながら、先程のサーベルを差し出してくる。
(ああ、彼女は始めから、こうなると予想していたのか──)
 聖職者として、できる限りの手段で霊を昇天させようと試みたつもりが、結局はアニェスの掌の上で踊らされていたことに、不甲斐なさで歯噛みしつつ、私はサーベルを掴む。
『痛い……苦しい……苦しめ……皆苦しめ……』
 呪詛の言葉を垂れ流しながら、ゆっくりと近付いてくる悪霊に、私は再び正面から対峙する。
「めでたし聖寵充ち満てるマリア、主御身とともにまします。御身は女の内にて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う──」
 鞘に収められたサーベルを腰の左に回し、右手で柄を握りつつ、私は天使祝詞(アヴェ・マリア)を唱える。霊とは言え、他人を傷付ける罪の許しを神に請い、聖母に取り成しを願う中で、先程まで乱れていた私の心は平静を取り戻していく。
『死ね……死ね……皆死んでしまえ……』
 一方悪霊はうわごとのように呪詛を零しつつ、私に向かって右手を伸ばしてくる。
「天主の御母聖マリア、罪人なる我らのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン──」
 最後の『アーメン』と同時に、私はサーベルを抜き放ち、悪霊を右脇から左肩にかけて斜めに斬り上げる。
『ギャァァァァァァァッ!!』
 ダンテの『神曲』に登場した、地獄の罪人もかくやと思える程に悲痛な叫びを上げ、悪霊は私の喉まであと数センチまで近付いていた両手で傷口を押さえ、悶え苦しむ。
『痛い痛い痛い苦しい苦しい苦しい痛い苦しい痛苦しイタクイタイタクルイタバギレビキァァァ──』
 悪霊は最後にはもはや言葉にならない叫びを上げながら、傷口からみるみる崩れて形を失っていく。やがて先程よりも遥かに薄い瘴気の靄(もや)と化したかと思うと、すぐに薄くなって完全に消滅する。
 そして、後には静寂と、ケースの蓋が開いた時と変わらず、天井からの照明の光を受けて輝くダイヤモンドが残された──

「ああぁぁぁぁぁ──」
 サーベルが手から離れ、固い金属音を立てて床に転がるのも構わず、頭を抱えて悔恨と絶望の声を上げる私に、「何叫んでるのよ?」とアニェスが声を掛けてくる。
「わ、私は、聖職者の身で、霊を滅ぼしてしまった──例え天国へは行けなくても、煉獄か地獄でも、悔い改めれば救われる道もあったのを、この手で、閉ざして──」
 自身が犯した罪の重さに、血涙さえ流れそうなのに、涙の一滴も零れぬことが更に私の心を打ちのめす。
「何だ、そんなことなの?」
 やれやれと言うように溜息を吐くアニェスに、私は掴みかかる。
「そんなこととは何だ!? いくら君でも言って良いことといけないことがあるくらい分かるだろう!」
 これ以上彼女の言いたいように言わせていたら、サーベルで彼女に斬りかかってもおかしくないくらい、私の精神は限界まで追い詰められていた。彼女を斬ることなど落ち着いて考えれば不可能なことくらいすぐ分かるし、聖職者として大人として、子供相手に激昂して掴みかかることなど普通の精神状態ではあり得なかった。
「落ち着きなさい」
 アニェスはいつも通りの口調で私の右腕を掴み、ある一点を親指で強く押すと、私の右腕に激痛が走って思わずアニェスから手を放す。
「あれは人間の霊じゃないわ。思い入れとかお気に入りとか言う言葉があるけど、とにかく最初の持ち主だった人間の感情や心、執着が指輪に残った、いわゆる残留思念──早い話魂の残りカスみたいなものが、その後の持ち主に次から次へと不幸に陥れて、更に残留思念を取り込んであんな形を作る程に力を持ったようね」
 アニェスの説明は、この時の私には理解を超えていたので、
「馬鹿な。霊でないのにこれほどの力を持っているなんて、そんなことがあるのか!?」
「あら、人間の執着というものを馬鹿にしちゃいけないわよ。私の修業時代にも、呪いの髪飾りなんて物と関わったことがあってね──」
 それからアニェスが語ったことは、この場でなければ長い年月を経て話が膨らんでいった民話か、相手を怖がらせる為に脚色された、出来の悪いホラーとしか思えなかった。
 ──昔々、ある街の商人にとても着道楽な夫人がいた。その夫人は国中から珍しい服、綺麗な服を求めただけでなく、装飾品にも大変うるさく、特に鼈甲(べっこう)から作られた、見事な細工の髪飾りがお気に入りだった。ところがいつしか夫の商売が上手くいかなくなり、資金繰りに困った挙げ句、夫人の服や装飾品を手放さなくてはならなくなった。夫人はそれを嫌がり、服や装飾品に火を放つと家もろとも全焼し、自身も一緒に焼け死んだという。
「で、焼け跡から、夫人が一番お気に入りだった鼈甲の髪飾りが、奇跡的に焼け残っていたらしいのよ」
 だが、その後髪飾りが渡った先はことごとく火事に見舞われ、遂には呪いの髪飾りとして噂が広まり、幾人も経てある小間物商の手に渡ると、小間物商は扱いに困った末、たまたま近くに来ていたアニェスの師匠の元へ髪飾りを持ち込んだそうだ。
「それで、君の師匠はどうしたんだ?」
「小間物商から髪飾りを受け取ると、目の前で二つに割って、火の中に投げ込んだわ。それが一番確実で手っ取り早いからってね」
「そんなことをして、相手は怒らなかったか?」
「もちろん怒ったわ。怒って師匠が髪飾りを無理矢理奪ったと役所に届け出たものだから、役人達が大勢捕まえに来てね。しかも師匠と来たら、そいつらの相手を私一人に押し付けて、おまけに『これも修行のうち』とか言って剣も術も禁じられて、捕まらないように私が必死で戦っているのを、酒と肴を傍らにゲラゲラ笑いながら見物してたのよ。正直あの時は、本気で師匠に殺意を覚えたわ」
 以前聞かされた、盗賊の根城に爆発の符を貼り付けた槍を何十本も投げ込んだ話と言い、アニェスの直線的、享楽的な上に、しばしば物事を丸投げする所は、その師匠の影響が多分にあるようだった。
「だから私、師匠のようには絶対ならないと心に決めてるのよ」
 一体どこが違うのかと思いつつ、顔に出ないよう苦闘している私の前で、アニェスはケースを手に取り、ダイヤモンドを見て満足げに笑みを浮かべ、
「ほら、この通り呪いは消えたしダイヤの本体も無事よ。あれだけ強い呪いを宿したダイヤなら、私の剣の装飾には申し分ないわ。また一つ、剣の材料が手に入ったし、隕石から作った習作も性能は十分だし、最高の剣を作るのに大きく前進ね」
 さも自分の手柄のようにダイヤモンドを見せつけて歓喜するアニェス。
(神よ、慈しみ深く私を顧み、豊かな哀れみによって私の咎(とが)を許して下さい。悪に染まった私を洗い、罪深い私を清めて下さい。私は自分の過ちを認め、罪は私の目の前にある。私はあなたに罪を犯し、悪を行い、あなたに背いた。あなたが私を裁かれる時、その裁きはいつも正しい──)
 私はアニェスを殴りたい衝動を抑え、必死に心の中で祈りを捧げ、許しを請い続けた。
 今日に至るまで、私はこうして何度祈り、罪を犯してはまた祈ってを繰り返してきただろうか。人は生まれながらに背負った原罪に加え、生きている限り負の感情を抱き、罪を犯す躓き石が無数に存在する。人々に天国への道を示す聖職者もまた同じ危険にさらされていることからも、天国への道がどれほど狭いかうかがい知れよう。
 その後も私は道に迷った魂に天国への道を示す目的の困難さを思い知ると共に、数え切れない程の命の危機と向かい合い、自身の心と信仰を試されることになるのだが、それらについて語るのは、また後日のことにしよう。

Fin

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック