星の剣舞姫 第3話「ジュエリーは妖麗で」3

 アニェスの商談が終わると、私はまた彼女に連れられ、地下鉄(メトロ)に乗る。
 パリまでの道のりと言い、着いてからと言い、アニェスの行動には全く迷いがないので、私は地下鉄の車内でアニェスに尋ねてみる。
「随分慣れた感じでパリの町を歩いてるが、土地勘があるのか?」
「少しね。今の家に引っ越す前、ちょっとの間いたから」
「中華街に住んでいたのか?」
「ローラン、あなたも中国系はみんな中華街に住んでると思ってるの?」
「済まない、偏見だった」
 立っている私の前で座席に座ったアニェスに、上目遣いで睨まれ、私は即座に謝る。
「分かればいいのよ。それでね、パリにいた間は市内のホテルに泊まってたんだけど、私が東洋人で、おまけに子供だから、従業員が腹の中では舐めてるのが見え見えなのよ。まあ流石に表面上は丁寧に扱ってくるから文句は言わなかったけど、ある日そのホテルのレストランで夕食を取っていて、デザートに前日の残り物のケーキが出てきた時には、給仕(ギャルソン)を呼びつけて、更には厨房まで乗り込んだわ。ここのレストランは民族で客に出す料理を変えるの? ってね」

 この時私の脳裏には、アニェスがそのレストランの厨房に怒鳴り込み、自分に出されたケーキが他の客のケーキと比べてどれだけ作られてから時間が経っているかを正確に言い当て、スタッフがぐうの音も出ない状況に追い込まれた光景がありありと浮かんだ。彼女の感覚は常人より遥かに鋭敏で、それは嗅覚、味覚も例外ではなく、下手な食通など及びも付かない。以前彼女の家で昼食に同席した際、アニェスが料理の塩加減と火を通した時間が気候に合わなくて僅かに味が落ちているとロベールを叱責したので、私が流石にそこまで神経質にすることはないだろうと言ったら、彼女は即座にこう言い返した。
「ロベールならその位の微調整はできると知ってるから言ってるのよ。あなたから見れば単なる日常の食事でも、ここで食べる、この日の夕食は、悠久の時の流れでたった一度しかないの。この重要性が分かる?」
 刺すように向けられた彼女の指と言葉に、私はすぐに答えを返せなかった。

「そのうちホテルの支配人がやって来たけど、事情を知ると顔を真っ青にしちゃって、その様と来たらまるで喜劇役者みたいでね。最後は私に向かって平謝りしながらお金の入った封筒を出してきたわ」
「受け取ったのかい?」
 アニェスは首を横に振る。
「突っ返してやったわよ。そんな封筒に入れられる程度の金額で詫びになんてさせてたまるもんですか。ついでに言ってやったわ。『スタッフをクビにする責任の取り方も許さない。いつかまた来た時、今日と同じ人達がどう私をもてなすかどうかで、今日の責任を取ったか否かが決まるのよ』ってね」
「『いつか』って、いつ行くつもりなんだ?」
 私がそう尋ねると、
「さあ、いつにしようかしら? 今はまだホテルの人達も私のことを覚えているでしょうし、一年後でも忘れてないかも知れないわね。一〇年か二〇年、いいえ、いっそ三〇年くらいして、私の姿が今より大きく様変わりしてから行こうかしら?」
 電車の窓に顔を向け、窓ガラス越しに次々と通り過ぎる地下道の明かりを見ながらアニェスが答える。そんな彼女の窓ガラスに映った表情は、意地の悪い笑みを浮かべていた。

 やがて目的の駅に到着すると、彼女は電車を降りて地上に上がり、後に続く私も階段を上がると高みにそびえるサクレ・クール寺院を見上げる。
 パリ一八区は三世紀、パリの初代司教である聖ドニ(サン・ドニ)が斬首刑に処されたとされる殉教者の丘(モンマルトル)のある場所として知られ、二〇世紀初めにはピカソやモディリアーニ達が安アパートに住み、コクトー、マティスらが出入りして芸術論を交わしたという。しかし、そんな芸術の中心地もこの頃から既に観光地へと変貌しており、日々多くの観光客がテルトル広場、サクレ・クール寺院、ムーラン・ルージュを目当てに集まっていた。
 アニェスが足を向けたのは、そんなモンマルトルから外れた場所にある菓子屋で、外から見ると本屋や薬屋などに並んでひっそりと、と言う感じの店構えをしていた。
「いらっしゃいませ」
 アニェスが店のドアを開けると、カウンターに立つふくよかな丸顔が特徴的な老女が愛想良く声を掛けてくる。
「マドレーヌ二つちょうだい。ローラン、あなたも食べるわよね?」
 即座に注文するアニェス。台詞の後半は私に対する確認と言うより、「一緒に食べなさい」という方がむしろ近く、私も小腹が空いていたから「ああ(ウイ)」と返事する。
「あと、店の中に食べる所はあるかしら?」
 続けてアニェスが尋ねると、
「はい、こちらにございますよ」
 老女が店の奥にこぢんまりと置かれたカフェスペースを示すと、「じゃあ、お茶も一緒にお願い」とアニェスはそちらへ向かう。カフェスペースと言っても、机が一つとそれを挟むように椅子が二つ置かれただけで、アニェスが片方の椅子に座ると、私も反対側に腰を下ろす。
「お待たせしました」
 間もなく老女がトレーにマドレーヌとティーセットを二人分ずつ乗せてやって来る。そしてマドレーヌを出し、私達の目の前で紅茶を入れると、ふわりとした香りが私達の鼻をくすぐる。
 フランスでは美味しい菓子屋は教会の近くにあると良く言われる。日曜日、教会でミサを終えた人達が、帰りに昼食のデザートを買うために菓子屋へ寄るのが昔ながらの習慣で、私も子供の頃はその時に買って貰うケーキや焼き菓子が楽しみだったものだ。
 そのため教会からいささか距離がある上に、言っては悪いが店構えも地味なこの店の菓子には過大な期待を抱いていなかったが、紅茶で口を湿し、マドレーヌを一口した瞬間、それが間違いだったことに気付く。
 マドレーヌは無塩バター、小麦粉、卵、砂糖、ベーキングパウダー、好みによってバニラエッセンスやブランデーを混ぜ合わせ、型に入れて焼くと言う具合に、作り方は至ってシンプルだ。だがそれだけに小細工が効かず、材料の質や作る者の技量が問われると言って良いだろう。だからあのマドレーヌを初めて口に入れた瞬間、私の味覚と嗅覚に飛び込んできたバターの風味の豊かさを、一体どう表現したものだろうか。外は程良い固さに、中はふんわり、しっとりと焼き上げられた生地の歯触りを、その後に訪れた上品な甘味を、それらに埋没せず且つ主張しすぎないバニラエッセンスのほのかな香りを、思いつく限りの表現を尽くしても伝えきれそうにない私の文才の乏しさがもどかしい。私は聖職者であって小説家でないということなど、虚しい言い訳に過ぎない。
 とにかく、私がそのマドレーヌの予想外の美味しさに呆然としていた間、アニェスは悠然と自分の分を食べ終え、紅茶を一口すすると店主の老女を呼びつけ、
「良い材料使ってるわね。それでいて材料だけに頼ってないようだし。フィリップ爺が薦めただけのことはあるわ」
 素直に褒める──すなわち、アニェスの最高評価だ──アニェスに、老女も余計なことは一切言わず「ありがとうございます」とだけ返す。
「追加で夕食のデザート用にケーキを二つか三つ見繕ってくれるかしら。ここへ来る前にフィリップ爺から聞いたんだけど、この間調理の難しそうな材料を仕入れたんですってね?」
 そうアニェスが言った途端、それまで柔和な笑みを浮かべていた老女の表情に陰りが入る。
「持て余してるようだったら、私が引き取っても良いわよ」
 続けてアニェスが言うと、老女の表情から完全に笑みは消え、
「お嬢ちゃん、世の中欲をかきすぎると、それに足をすくわれて奈落の底へ真っ逆さまというのは良くあることよ。あと、子供だからと言って許して貰えることと、そうでないことがあるということも覚えておきなさい」
 口調こそ優しいが、厳しく諭すように老女は言う。
「ご忠告ありがとう」
 老女の言葉にアニェスはそう前置きした上で、
「でも、“故買屋”フィリップが“この世界”にちょっと足を踏み込んで調子に乗っているだけの小娘に、あなたさえ手こずるような物の話を振るような人だとあなたは思ってるのかしら、“徴(しるし)の”マティルダ?」
 アニェスの質問に、パリの裏社会でその名を知られる魔道師──私も少し後にそれを知ることになる──マティルダは額の皺を更に深くして数秒間沈黙した後、若い男の店員にカウンターを任せて店の奥へと引っ込む。
「アニェス、年長者に対してあの言い方は失礼じゃないか?」
 声を潜めて言う私に、
「あら、これでも礼は弁えたつもりだけど」
 しれっと答えるアニェス。
「だったら私にもそれなりの敬意を払って欲しいものだが」
 私の要求は至極正当なつもりだったが、
「そんな台詞は敬意を払われるにふさわしい実力を付けてから言いなさい」
 即座にアニェスに却下され、額を指で弾かれる。
 そうしているとマティルダは戻ってくるが、先程と同じ気の進まなそうな表情のまま、ジュエリーケースらしき物をそっとテーブルの上に置く。
 ジュエリーケースらしき物、と表現したのは、紙テープが1本ずつ、ケースを縦と横に一周して、上から見ると十字に見える。だがどちらの紙テープにもびっしりと細かい文字や紋様が描き込まれていて、どう見てもキリスト教とは無関係そうだった。そして箱の中から何やら禍々しい気配が外へ漏れ出して来るのが見えたが、何か見えない壁があるかのようにそれは止まっており、どうやらあの紙テープに描かれた物が、ケースから気配が外へ広がるのを防いでいるようだった。息を呑んでそれを見ている私に、
「ほう、神父様もこれの恐ろしさが分かりますか」
 さもあらんと言うようにマティルダは頷く。
「これはね、最初の持ち主が戦争で殺されて、その後持ち主が次々と事故や病気で死んでいったという曰く付きのダイヤモンドでね。そういう『曰く』は良くある話なんだけど、これは最初の持ち主の未練がよほど強かったらしくて本物の呪いが憑いちゃったのよ。で、その後も持ち主の未練や悲しみとかを吸収してどんどん呪いが強くなっちゃって、私でも封印した上で少しずつ浄化していった方が良いと判断したくらいだもの。あなたみたいな小さい子が、下手に手を出して祟られるのなんて、見たくないからおやめなさい」
 そう話して聞かせるマティルダの表情に、面白がらせたり怖がらせたりする様子はなく、真剣にアニェスを思い留まらせようとするのがはっきりと見て取れた。だがアニェスはマティルダの忠告も真面目に聞いていたのかいなかったのか、静電気でも確かめるかのように数回指先をケースに近づけては引っ込める動作を繰り返し、
「なるほどね」
 そう一言呟いて、サッとケースを掴み取る。そして椅子を立つと、カウンターに用意されたケーキの箱を取って代金を払い、「ごちそうさま」と店を出て行く。

「おい、アニェス」
 マティルダにアニェスの非礼を一言詫びて、私も続いて店を出ると、前を歩くアニェスに声を掛ける。
「何?」
 振り向きもせずに返してくるアニェスに、
「それがどれだけ危険な物か、私にだって分かったんだ。君に分からないわけないだろう?」
「もちろん。だからタダで手に入るんじゃないのよ」
 私の問いかけに、アニェスは当たり前のように即答する。
「タダでって、それで危ない目に遭ったらどうするんだ? どんなに金を積んでも買えない物はあるんだぞ、例えば命とか──」
「危険だからメリットも大きいのよ。それに、人の心配してる暇があったら、自分の身の心配をしたらどう?」
「えっ?」
 いきなり予想外の方向に話を振られて困惑する私に、アニェスは更に続けて言った。
「この宝石は、あなたが浄化するのよ。ローラン」

続く

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